ホの字5


溝の口ランチログ

神奈川県、溝の口近辺のランチ事情を淡々と記録。
今までに行ったお店を地図上に表示してみました!
管理人:村木 / 溝の口ランチログ 記事一覧 / 高速記事検索
溝の口ランチログ

さらしな
 親子丼セット

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さらしな - 親子丼セット 800円

蕎麦を音を立てずに啜る者がいるだろう。

私だ。

蕎麦をいただく際のマナーや風情を論ずる者の中には
まるで私が犯罪者でもあるかのごとく罵言を浴びせる者もいる。

しかし、私にもそれなりの言い分がある。
私の無音啜りには、理由が存在するだ。

ひとつは音を立てて啜ることに起因する身体的不調という問題である。
前述の通り、世の中には自分を基準としてそれから外れる者に対し、
悪行を行っているかのように批判する者がいる。
それらの言葉を真摯に受け止め改善に努めようとする私は、
度々音を立てて啜る練習を行う。

しかし、ダメなのである。
空気を多分に飲み込んでしまいキヴンが悪くなってしまう。
空気を多分に飲み込んでしまった結果待ち受けているのは、
食欲減退と連続的放屁のみである。

もうひとつ、大きな要因がある。
実はこれこそが根本的な問題で、先に挙げたものはその副次的な産物と言ってよかろう。
それは、

「音を立てて啜るのが怖い(ブルブル」

ということだ。

こんな私ではあるが、
蕎麦を音を立てて華麗に啜る風情を理解するだけの心情は持ちあわせている。
と思う。思いたい。

「ズズーーッ」
決して品を損なわない勢いを持ち、かといって弱々しくもないスマートな啜りは
蕎麦が旨そうに見え、また、その姿は美しくも見えるものである。
このように啜れるものならば、私は率先して、そして自慢げに蕎麦を啜るであろう。

ところが、だ。
世の蕎麦屋で聞く啜り音のほとんどは、このようなスマート啜りではないことは明らかである。
いるでしょ? ほら、お前啜ってんじゃなくてわざと音立ててるだろ、みたいなひと。

今日私の隣に座っていた男など、その最たるものである。
私のいう"スマート啜り"を「ズズーーッ」と表すならば
彼のそれは

「じゅ、じゅ、じゅー」

である。
何故に拗音を用いる必要があるのか。
品がない。
上手く表現できないのがもどかしいが、「ジュ」ではく「じゅ」であるところに
その品のなさを感じていただきたい。
撥音が入らないところも注目である。

しかも彼の場合、理解しがたい3段啜りである。
1回の啜りを3回に分けているわけだが、最早1、2回目の啜りは
蕎麦を口に運搬できていないと言ってよい。
1、2回目は下品なサウンドを発する行為のみであり、
3回目ではじめて啜っているのである。

私は、この音が、たまらなく嫌いなのである。

この嫌悪感は咳やくしゃみを発する際に
「ぐげぅおっふぉぉーん」
とか
「ぐぐぁーーーーっぢょぉーい」
など、
最早「叫び」と形容したほうが相応しい、
主に40代以降の男性によく見られる行為を目にした場合も同様に得られるものである。

私はこれらの姿や音を見聞きするする度に、
「これは絶対にやってはいけない、これは犯罪行為だ少なくとも私にとって」
と心から思うのである。

この嫌悪感のはじまりは、父である。
父は品のない啜り方をする。
麺類でなくとも、啜る。なんでも、啜る。
私はこれが嫌でたまらなかった。
思春期特有の親への反発も相まって、私は「コウナッテハイケナイ」と
心に強く誓ったのである。

その結果、私は下品なサウンドを発することを恐れるあまり
上手く音を立てて啜れなくなっているのである。

これはまさしく過剰な自意識がもたらすものであり、
主にWEB日記界隈に蔓延する
「俺ってホントにヒキコモリだから」「マジ友達いねー」
と言いつつ遊楽の記録を着々と更新するという、
実際には楽しみは得つつも自らを自虐的に堕ちた存在として表現し、
"オレ/アタイってホント、ダメなんです"っぷりを競ってみることに悦を得るという
愚行とはレヴェルを異にする、もはや病の類に入るものである。


私が、すごく気が抜けている、または気を許している場面では
エクセレントで可憐な、そして凛とした音と共に啜りを行えていることは
言わずと知れた事実である。


親子丼も蕎麦も普通においしかったでーす。

さらしな 地図

Posted by 村木 at 2005-07-19 18:40
コメント
» 投稿者: Aoba : 2005-07-20 09:36

さらしな、ほとんど関係ねーし!(お仕事中なので笑えません)

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